徒然草成立。 原典「平家物語」とは

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徒然草成立

平家物語 成り立ち [ ] 平家物語という題名は後年の呼称であり、当初は『』や『』と同様に、合戦が本格化した()年間より『 治承物語』(じしょうものがたり)と呼ばれていたと推測されているが、確証はない。 正確な成立時期は分かっていないものの、元年()にによって書写された『』(の日記)のに「治承物語六巻号平家候間、書写候也」とあるため、それ以前に成立したと考えられている。 しかし、『治承物語』が現存の平家物語にあたるかという問題も残り、確実ということはできない。 少なくとも延慶本の本奥書、2年()以前には成立していたものと考えられている。 また文中にしばしば『』からの引用が見られるから方丈記執筆の2年(1212年)以後に成立したことも確実である。 作者 [ ] 作者については古来多くの説がある。 現存最古の記述は鎌倉末期の『』(作)で、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)なる人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとする。 「後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが(中略)この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて語らせけり。 」(徒然草226段) その他にも、生仏が出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世のとの関連まで述べているなど、その記述は実に詳細である。 この信濃前司行長なる人物は、に仕えていたで、の孫である下野守ではないかと推定されている。 また、『』や『醍醐雑抄』『平家物語補闕剣巻』では、やはり顕時の孫にあたる葉室時長(はむろときなが、)が作者であるとされている。 そのため信濃に縁のある人物として、の高弟で門下の西仏という僧とする説がある。 この西仏は、や康楽寺(塩崎)の縁起によると、の名族の流れを汲むの息子で(または通広)とされており、大夫坊の名でのとして、この平家物語にも登場する人物である。 ただし、海野幸長・覚明・西仏を同一人物とする説は伝承のみで、史料的な裏付けはない。 諸本 [ ] (1185年) 現存している諸本は、次の二系統に分けられる。 盲目の僧として知られる琵琶法師(に属する盲人音楽家。 など)が日本各地を巡って口承で伝えてきた 語り本(語り系、当道系とも)の系統に属するもの• 読み物として増補された 読み本(増補系、非当道系とも)系統のもの 語り本系 [ ] 語り本系は八坂流系(城方本)と一方(都方)流系()とに分けられる。 八坂流系諸本は、平家四代の滅亡に終わる、いわゆる「断絶平家」十二巻本である。 一方、一方流系諸本はで海に身を投げながら助けられ、したが念仏三昧に過ごす後日談や、侍女の悲恋の物語である「灌頂巻」の付加に特徴がある。 平曲 [ ] 語り本は当道座に属する盲目の琵琶法師によってを弾きながら語られた。 これを「」と呼ぶ。 ここでいう「語る」とは、節を付けて歌うことで、内容が叙事的なので「歌う」と言わずに「語る」というのである。 これに使われる琵琶を平家琵琶と呼び、構造は楽琵琶と同じで、小型のものが多く用いられる。 なお、近世以降に成立したやでも平家物語に取材した曲が多数作曲されているが、音楽的には全く別のもので、これらを平曲とは呼ばない。 平曲の流派としては当初は八坂流(伝承者は「城」の字を継承)と一方流(伝承者は「一」の字を継承)の2流が存した。 八坂流は早くに衰え、現在ではわずかに「訪月(つきみ)」の一句が伝えられているのみである。 一方流はに前田流と波多野流に分かれた。 波多野流は当初からふるわず、前田流のみ栄えた。 5年()には名人と謳われた(荻野知一検校)が前田流譜本を集大成して『』(へいけまぶし)を完成させ、以後は同書が前田流の定本となった。 後はの庇護を離れた当道座が解体したため、平曲を伝承する者も激減した。 期には宮城県に館山甲午(1894年生~1989年没)、愛知県にの流れを汲む井野川幸次・三品正保・土居崎正富の3検校だけとなり、しかも全段を語れるのはであった館山のみとなっていた。 平曲は国のに選択されて保護の対象となっており、それぞれの弟子が師の芸を伝承している。 2018年(平成30年)時点では三品検校の弟子である今井勉が生存しているだけで、今井に弟子はいない状況である。 平曲にまつわる文化を研究・伝承するため、の薦田治子らにより「平家語り研究会」が2015年に発足。 かつては約200曲あったとされるうち現在まで伝わる8曲の譜や録音の研究、やの演奏家による平曲の公演などを行っている。 平曲の発生として、のの盲目僧まで遡ることが『日本芸能史』等で説かれているが、平曲の音階・譜割から、大原流の(しょうみょう)の影響下に発生したものと考える説が妥当と判断される。 また、平曲は娯楽目的ではなく、鎮魂の目的で語られたということがの日記などで考証されている。 また後世の音楽、芸能に取り入れられていることも多く、ことに()には平家物語に取材した演目が多い。 読み本系 [ ] 読み本系には、延慶本、長門本、などの諸本がある。 従来は、琵琶法師によって広められた語り本系を読み物として見せるために加筆されていったと解釈されてきたが、近年は読み本系(ことに延慶本)の方が語り本系よりも古態を存するという見解の方が有力となってきている。 とはいえ、読み本系の方が語り本系にに比べて事実を正確に伝えているかどうかは別の問題である。 広本系と略本系の関係についても、先後関係は諸説あって不明のままである。 読み本系の中では略本系が語り本と最も近い関係にあることは、『源平闘諍録』の本文中に平曲の曲節に相当する「中音」「初重」が記されていることからも確実視されている。 天草版 [ ] 大英博物館には1592 文禄1 年にポルトガル式ローマ字で書かれた天草版「平家物語」が存在する。 これは、「日本の言葉と歴史を習い知らんと欲する人のために」書かれたとその扉絵に記されている。 刊行本 [ ] 現在入手しやすい版本。 上・下 ・・・ 1959年 上 下 底本:龍谷大学図書館蔵本 覚一本系• 上・下 ・ 1959年 上 下 底本:十二年刊平仮名整版本• 上・下 ・ 岩波書店 1991-1993年 上 下 底本:高野本• 45・46 1994年 1 2 底本:高野本• 42~45 市古貞次 1973-1975年 小学館 1 2 3 4 底本:高野本• 上・中・下 1979-1981年、新装版2016年 上 中 下 底本:蔵本• 全4巻 梶原正昭・山下宏明 1999年 1 2 3 4 底本:高野本• ワイド版 岩波文庫 同上、2008年 1 2 3 4• 上・下 1972年 上 下 底本:流布本・九年刊片仮名交り附訓12行整版本(流布本系)• 巻第一• 祇園精舎、殿上闇討、鱸、禿髪、我身栄花、祗王、二代后、額打論、清水寺炎上、東宮立、殿下乗合、鹿谷、俊寛沙汰、願立、御輿振、内裏炎上• 巻第二• 座主流、一行阿闍梨之沙汰、西光被斬、小教訓、少将乞請、教訓状、烽火之沙汰、大納言流罪、阿古屋之松、大納言死去、徳大寺之沙汰、堂衆合戦、山門滅亡、善光寺炎上、康頼祝言、卒都婆流、蘇武• 巻第三• 赦文、足摺、御産、公卿揃、大塔建立、頼豪、少将都帰、有王、僧都死去、辻風、医師問答、無文、燈炉之沙汰、金渡、法印問答、大臣流罪、行隆之沙汰、法皇被流、城南之離宮• 巻第四• 厳島御幸、還御、源氏揃、鼬之沙汰、信連、競、山門牒状、南都牒状、永僉議、大衆揃、橋合戦、宮御最期、若宮出家、通乗之沙汰、ぬえ、三井寺炎上• 巻第五• 都遷、月見、物怪之沙汰、早馬、朝敵揃、咸陽宮、文覚荒行、勧進帳、文覚被流、福原院宣、富士川、五節之沙汰、都帰、奈良炎上• 巻第六• 新院崩御、紅葉、葵前、小督、廻文、飛脚到来、入道死去、築島、慈心房、祇園女御、嗄声、横田河原合戦• 巻第七• 清水冠者、北国下向、竹生島詣、火打合戦、願書、倶梨迦羅落、篠原合戦、実盛、玄肪、木曾山門牒状、返牒、平家山門連署、主上都落、聖主臨幸、忠度都落、経正都落、青山之沙汰、一門都落、福原落• 巻第八• 山門御幸、名虎、緒環、太宰府落、征夷将軍院宣、猫間、水島合戦、瀬尾最後、室山、鼓判官、法住寺合戦• 巻第九• 生好沙汰、宇治川先陣、河原合戦、木曾最期、樋口被討罰、六ヶ度軍、三草勢揃、三草合戦、老馬、一二之懸、二度之懸、坂落、越中前司最期、忠度最期、重衡生捕、敦盛最期、知章最期、落足、小宰相身投• 巻第十• 首渡、内裏女房、八島院宣、請文、戒文、海道下、千手前、横笛、高野巻、惟盛出家、熊野参詣、惟盛入水、三日平氏、藤戸、大嘗会之沙汰• 巻第十一• 逆櫓、勝浦、嗣信最期、那須与一、弓流、志度合戦、鶏合、壇浦合戦、遠矢、先帝身投、能登殿最期、内侍所都入、剣、一門大路渡、鏡、文之沙汰、副将被斬、腰越、大臣殿被斬、重衡被斬• 巻第十二• 大地震、紺掻之沙汰、平大納言被流、土佐房被斬、判官都落、吉田大納言沙汰、六代、泊瀬六代、六代被斬• 灌頂巻• 女院出家、大原入、、六道之沙汰、女院死去 関連項目 [ ] 人物 [ ]• …の右筆。 これら右筆が書いた合戦記が平家物語に採用されたと見られている。 史料 [ ]• 『』 - 編纂の歴史書。 平家物語と同時期の出来事を含む。 『』 - 同時代の大臣であるの日記。 『』 - による史書。 古典 [ ]• 『』 - 平家物語の一異本。 『』 - 平家物語の一異本。 『』 - 平家物語以前の出来事を描いている。 『』 - 同上。 『』 - の伝説を描く。 源平合戦以前とへの亡命を主に描く。 能 [ ]• 『朝長』• 『熊坂』• 『烏帽子折』• 『七騎落』• 『頼政』• 『実盛』• 『木曽』• 『兼平』• 『小督』• 『経正』• 『忠度』• 『知章』• 『俊寛』• 『俊成忠度』• 『屋島』• 『碇潜』• 『千手』• 『盛久』• 『大原御幸』• 『正尊』• 『吉野静』• 『摂待』• 『大仏供養』• 『二人静』• 『生田敦盛』• 『熊野』 幸若舞 [ ]• 『』・・・が好み、圧倒的少数でに臨む前に決死の覚悟で舞ったという曲。 人形浄瑠璃・古典歌舞伎 [ ]• 『』「俊寛」• 作、4年(1719年)8月大坂竹本座初演• 『』「鮓屋」「吉野山」「四ノ切」• ・三好松洛・合作、4年(1747年)11月大坂竹本座初演• 『』「熊谷陣屋」• ほか作、元年(1751年)11月大坂豊竹座初演 活歴・新歌舞伎・新作歌舞伎 [ ]• 『』「重盛諫言」• 作、9年(1876年)5月東京初演• 『 平家物語 建礼門院』「寂光院」• 『』 (「」所収)• 『現代語訳 平家物語』• 『現代語訳 平家物語』• 『宮尾本 平家物語』• 『双調 平家物語』• 『平家物語』• 『平家物語』• 『吉村昭の平家物語』• 『』 ベンジャミン・ウッドワード 戯曲• 『』 -作品論『平家物語 古典を読む』がある• 『平家物語』 TVドラマ• 『』( :『新・平家物語』)• 『』( - NHK人形劇 原作:吉川英治『新・平家物語』)• 『』(NHK大河ドラマ 原作:宮尾登美子『宮尾本平家物語』ほか)• 『』(NHK大河ドラマ) 映画• 『』(1955年大映)原作:吉川英治、監督:、主演:、、• 『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』(1956年大映)原作:吉川英治 監督: 主演:• 『新・平家物語 静と義経』(1956年大映)原作:吉川英治 監督: 主演: 漫画• 『平家物語』(全3巻、マンガ日本の古典:中央公論新社、)• 『平家物語シリーズ』(全4巻、あすかコミックス:角川書店、)• 『』(全8巻、小学館、) 絵本• 『かえるの平家ものがたり』(2002年、文:日野十成、絵:斉藤隆夫) - 平家は、源氏はとして表現されている テレビゲーム• (1986年、)• (1994年、)• (2003年、)• (2004〜2006年、光栄)• (2005年、) DVD• 原典『平家物語』(2007年〜、) 歌謡曲• 組曲アルバム「平家物語」() パチンコ• CR平家物語() - リーチ時に冒頭部分が背景として登場する、予告に琵琶法師が登場するなど。 その他 [ ]• 脚注 [ ] [].

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枕草子、方丈記、徒然草を比較!日本三大随筆の特徴とは?

徒然草成立

吉田兼好は「徒然草」の作者として名高い人物です。 出家後の兼好法師という名でも知られています。 1283年頃に誕生し、鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱の時期に生涯を送っています。 神職か武士か 従来は神職の出身だと言われていましたが、現在では「滝口の武士」の出身だったという説が出てきています。 滝口の武士は朝廷を守る警護兵のことで、従六位程度の官位を持っていました。 兼好は執権・金沢貞顕や九州探題・今川了俊といった身分の高い武士たちと親交がありましたので、滝口の武士の出身だったという説には信憑性があると思われます。 また、徒然草に武術を学ぶことの重要性が記述されていることも、この説を補強する要因になるでしょう。 若くして出家する 1313年ごろには既に出家していたとの記録があり、30才になる前に遁世していたことになります。 どうして出家したのか、その理由については定かではありませんが、権力や富に執着のない人物だったことは確かなようです。 出家後は仏道修行に励み、和歌を学び、後世に名を残す要因となる、文学的な素養を磨くことにも時を費やしていました。 大阪にある正圓寺付近に庵を構え、清貧な生活を営んでいたとされています。 ある程度の規模の田畑を所有していたという話もあり、自適な生活を送るための資産を保有していたようです。 文学的な才能 二条為世という公卿に和歌を学んでおり、門下では四天王に数えられるほど達者でした。 「続千載集」などにその作品が収録されており、こちらの方面でも著名な人物だったようです。 この時代では、和歌が上手に詠めるのは一種の特殊技能であり、身分の高い人と知り合うきっかけ作りにもなりましたので、世過ぎの上でも何かと役に立ったものと思われます。 そして有名な随筆文集である「徒然草」は、日本三大随筆のひとつに数えられるほど広く知られています。 兼好が出家していただけに、僧侶に関する説話が多いのですが、堅苦しいものではなく、ちょっとした笑い話なども含まれており、全般的に読みやすい内容になっています。 簡潔で達意の文章が文学的に評価されているだけでなく、風俗についても様々に記されているため、当時の社会状況を知るための歴史的資料としても高く評価されています。 これは兼好が中年期に書いたものだと言われていますが、若い頃の文章も含まれており、正確な成立年代は不明です。 和歌を作ったり徒然草を書く一方で、足利尊氏の側近・高師直の恋文を代筆したという話が「太平記」に残されており、洒脱なところも備えた人物だったようです。 死後に徒然草が有名になる 没年は1352年ごろとされており、68才まで生きたと言われています。 死後に弟子の命松丸や、友人の今川了俊が徒然草の編纂を行っています。 しばらくはこの書物の存在は世に知られませんでしたが、死後から100年ほどが過ぎた室町時代の中期ごろから、よく読まれるようになりました。 江戸時代には挿絵をつけた徒然草が制作されるなどしており、庶民たちの間でも身近な古典として親しまれるようになっていきました。 現代でも同じように読み継がれ、吉田兼好の名も長く語り継がれています。

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徒然草成立

鎌倉後期の随筆。 兼好著。 成立年時不明。 かつては1330年(元徳2)11月以後、翌年(元弘1)10月以前成立とする説が信じられたが、いまは疑問視されている。 20代の起筆かとも、最晩年まで書き継がれたかともいい、執筆、編集の過程についてもさまざまに考えられており、決着をみていない。 は、序段の「つれづれなるままに」の冒頭の語によったものである。 一般に近世初頭の烏丸光広 からすまみつひろ 校訂古活字本が用いられるが、中近世にわたる多数の写本、版本などが残る。 [三木紀人] 内容・特性心に浮かぶまま、連想の赴くままに書きつづったものである。 長短不ぞろいの全244段に分けて読む習わしになっている。 そのうち、序段には、随筆としての本書の趣旨・内容に触れる簡潔な記事がみられる。 以下、貴族社会に生まれた男が願う物事に触れる第1段から、仏について父と問答を交わしたことを回想する第243段まで、各段の主題、内容はきわめて多岐にわたる。 すなわち、その内容は、評論的なもの、説話的なもの、断片的な知識についての聞き書き、覚え書き的なもの、回想的なもの、その他と大別できようが、その内訳はまた多種多様である。 たとえば評論的なもののなかには、「万事は皆、非なり。 言ふに足らず。 願ふに足らず」(第38段)のような手厳しい口調のものもあり、「よき友三つあり。 一つには物くるる友。 ……」(第117段)のような、ふと心に浮かぶままをユーモラスに書き流したものもある。 また、主題においては、現世を否定して発心遁世 ほっしんとんせい を説く仏教的な段、人間の性格・心理・行動様式などについてその類型の素描を交えつつ論ずる段、趣味・教養・処世法などに触れる段などと変化に富む。 それら多彩な内容をそれぞれの主題、素材にふさわしく論じ分け、描き分けており、本書は、各ジャンルの例文集のような趣 おもむき もあるが、兼好による個性的統一が全体をよく引き締めており、分裂した印象を与えない。 思想的には尚古的姿勢、王朝的・都会的価値観が目だち、当世風の事物に批判的であるが、新時代を担う武士、商人などに視野を広げようとする一面もあり、地方人や無名の専門家たちの知恵を紹介して共感を示す記事が多い。 中世人の心をとらえた無常思想は本書にも流れており、それから導かれた見解が随所に出ている。 とくに、無常感による物事への見直しを示唆する第137段、四季の変化を例に引きながら生成と衰亡のさまを重層的に指し示す第155段などは圧巻で、それらに至る各段のなかに、兼好の無常思想の発展、進化の跡が著しい。 全体として、学問、思想などに関することを本格的に考察したものではなく、むしろ日常生活に根ざす実感のままに書いたとおぼしき部分が多い。 独断と偏見をはばからない筆致はすこぶる刺激的で、これにうなずいたり反発したりして読むことは、いわば精神的柔軟運動となるはずである。 [三木紀人] 源泉構成は平安時代の『枕草子 まくらのそうし 』に倣っており、個々の段にもそれを模したものが少なくない。 ただし、目配りの広さ、論じ方の柔軟さは『枕草子』以上である。 そのことは兼好の精神のあり方にもよろうが、彼をはぐくんだ和漢の古典に負う面も大きいと思われる。 本書には、仏書、儒書、各種の漢詩文から、わが国の詩歌、物語、日記、説話、軍記、文学論、法語などに至るさまざまな先行書に触発された部分が目だつ。 [三木紀人] 享受・影響成立後しばらくは人の耳目に触れなかったらしく、兼好の生存時の文献で『徒然草』に言及したものは一例もない。 確認できる最初の読者は1世紀後にこれを書写した歌人正徹 しょうてつ にすぎず、室町時代には一部の知識人に知られるにとどまったようであるが、江戸初頭の啓蒙 けいもう 期に有名になり、以後急速に読者が増大した。 ただし、内容のどの面に中心を置くかにより読み方はさまざまで、教訓書とも、趣味論、人生論などともみなされる。 それは、多様な読者それぞれの関心にこたえるだけのものを本書がもっていることの現れであろう。

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